うどんの国香川県
コシのある讃岐うどんで有名な香川県の高松市です。
ラーメン大好きな人もそうでない人もうどんを主食として一週間の献立を組み 上げることはありますが、それでも飽きずに毎年300食以上を消費することが できるうどんは昔から日本国民に親しまれてきた料理です。 その中でも讃岐うどんは四国から瞬く間に全国へと広まったホープで、今では九州 や北海道、本州でも名古屋や大阪で提供する飲食店があるほど全国各地に広まった 人気のメニューです。 本場はうどん国とも呼ばれる香川県で、県内には4桁近くのうどん屋が営業して いるらしく各店舗がしのぎを削っておいしい讃岐うどんをお客さんに振舞っている そうなので、麺類に目がない人にとっては桃源郷と言っても差し支えない王国です。 うどんにおいて全国1とされる香川県の高松市は店舗数が多いだけでなく、さすが 本場の味と舌を唸らせるほどのおいしさですし、値段も驚くほど安いので特に 麺類を好まない洋食マニアでも、おかわりの手が止まらない、ダイエットに失敗 してしまうと嘆く人が続出しそうな勢いがあるようです。 なにせ1杯100円で食べられるお店も多く、1回おかわりしても200円、もし 空腹時で5杯食べたとしてもたったの500円で済んでしまうので、お腹が満ちる まで会計の心配をせずに追加注文をしてハッピーな時間を過ごすことができるのです。 同じメニューばかりを5人前食べるのはきついかな、と思いきや定番メニューにも 数種類あるので、かけうどんの次はぶっかけうどん、その次はしょうゆうどん、 締めにはデザート代わりに釜揚げうどんと複数のバリエーションを1店で味わうこと もでき、体中にうどんが浸透していく気分にもなれます。 なぜこの地でうどん文化が発展したのか、そもそも日本で食べられるようになった のはいつ頃なのかという疑問も出てきますが、実は詳しい経緯はわかっておらず 研究者の推測で予想も交えて語られているだけです。 それによるとかの有名な弘法大師が唐という国から日本へ伝えたらしいのですが、 この弘法大師とは諺にも出てくる偉大な筆の達人です。 しかし彼が日本に持ち込んだ食べ物は原材料こそ今のうどんに近いのですが、 団子のような形をしていたそうで啜って食べるタイプはもっと後から出現します。 みなさんが知っている形状、長くて細い麺状タイプは室町時代に開発されたという 説が有力で、国外から伝わってきたものとはまるで異質な存在感を放つ切り麺は 日本で産まれたものだそうです。 江戸時代には今ほどの数ではありませんがうどん屋も町のいたるところで開業し、 庶民の間にも広まってブームを巻き起こしたような記事をどこかで見たことが あった気もしますが定かではありません。 王国香川県では空海から学んだ智泉大徳が最初の人で、祭日には手作りうどんを みんなでキャッキャしながら捏ねるのが古くから伝統行事にもなっていたそうです。 他の地方よりも触れる機会の多かった高松市の人々はうどん無しでは生きられない 身体に進化し、製麺所も早い時期から開業して多くの麺を世に送り出してきた、 そう伝わっていますが現在の状況を見ると本当の話と信じてもよさそうです。 こうしてうどん国の香川県が誕生したのですね。 日本国内にも王国と呼ばれる存在はいくつかありますが、中にはとても貧相で 風が吹けば消し飛んでしまいそうな国も多くあります。 でも世界中から認められている香川県の高松市は確たる地位を築いており、誰から も一目置かれる強大な王国です。 空港の蛇口を捻ると出汁が出てくる、24時間いつでも開店中のうどん屋がある、 国民は一年で600回うどんを食べる、そんな伝説もあるほどです。 昔は讃岐うどんが食べたければ四国まで行かなければならなかったのですが、 今では国外にも輸出されたり支店が作られるようになってきて、他県に住んで いても気軽に食することができるようになりました。 なので讃岐の魅力にとりつかれた方も多いかと思われます。